ズタボロのデビュー戦(後編)
「筑波山梅林」は、私が添乗員として初めて立ち寄った記念すべき観光スポットです。お勉強も兼ねて梅林の中をふらふら散策しながら、自分も梅の花を楽しめていることにささやかな喜びを感じていました。しかし、その心の余裕の貯金は、出発のタイミングで一気に借金に変わることになりました。出発時刻になってもお客様が何名か戻ってこないのです。実はそのツアーは、お客様の7割近くが外国籍のお客様で構成されており、日本語が伝わりづらいことに加え、文化の違いで時間厳守への意識が希薄な方も混じっていたのです。バス車内では出発時間に遅刻しまいと早めにバスに戻って待っているお客様。当然、出発が5分、10分と遅れていくうちに不満が渦巻き、バス車内の雰囲気もどんどん険悪になります。私はデビュー戦でいきなりのイレギュラーに見舞われ、ただただオロオロするばかりでした。出発時刻から10分経つか経たないかのタイミングで、無事にお客様が戻ってきたのは良かったのですが、大きく出鼻をくじかれた格好となりました。
そして悪いことは続くものです。次に立ち寄るいちご農園では、私が場所をしっかりと確認しておらず、間違った農園にバスを停めるようドライバーさんに指示をしてしまいました。しかも少し入りづらい場所だったため、梅林での遅刻騒ぎに続くミスでドライバーさんをすっかり怒らせてしまいました。電話で再確認をし、本来のいちご農園にたどり着くことができましたが、農園に着いてからの記憶がまったくありません。度重なるミスで頭が真っ白になってしまっていたのでしょう。
どうにか午前の行程を終え、昼食会場はスムーズにご案内が出来たように記憶しています。ただ、昼食を食べる場所がドライバーさんと一緒で、非常に気まずかったのをよく覚えています。気を取り直し、午後の観光は一番の目玉である水戸偕楽園での観梅でした。お客様を誘導し、自由散策に送り出した後は、家族旅行の思い出に浸りながら千波湖を眺めていました。さて、あとは高速道路に入ってまっすぐ帰るだけ。悪夢もいつかは終わります。出発時間が近づきお客様がどんどんバスに戻ってきます。しかし、出発時間になっても、午前中と同じお客様がまた戻ってきません。午前中の梅林の比ではなく広い偕楽園では探しに行くのも不可能なため、バスの近くでただただうろたえることしかできませんでした。
幸いお客様は無事戻ってきましたが、バス車内の雰囲気は怒りを通り越してすっかりあきれムードですし、ドライバーさんは口をきいてくれないくらい不機嫌です。予定より大きく遅れてバスは偕楽園を後にしました。帰り道は大きな渋滞もなく、予定の時刻からそれほど遅れることなく終着の新宿駅西口に到着しました。お客様の忘れ物がないかを確認し、ドライバーさんにお礼を言ってバスを降りましたが、私の言葉を無視するようにドアを閉め、バスは無慈悲に走り去りました。
分かっているだけで3件のトラブル。うち2件はお客様起因ということもあり、納得いかない気持ちもありつつ、添乗のお仕事の厳しさを目の当たりにし、ただただ打ちひしがれながら帰路に就きました。しかし、まだ仕事は終わっていません。デビュー戦を黒星で幕を閉じてしまったこともあり、気の重い中残務処理である「精算・報告」をしなければなりません。
「報告」は、バス車内で回収したアンケートを確認しながら行われます。アンケートは5段階評価を採用しているエージェントが多く、
1:不満 2:やや不満 3:普通 4:ほぼ満足 5:満足
のような5段階で選んでもらうのですが、通常まずもらうことは無いと言われている1:不満や2:やや不満をいくつももらい、コメント欄には「添乗員がおどおどしていた」と書かれる始末でした。幸い派遣会社にもエージェントにも大目玉を食らうことはありませんでしたが、このアンケートの数字の意味は本人が一番よく分かっています。
1本目のツアーが不完全燃焼どころか暴発で終わった私に必要なのは成功体験でした。たまたま次にアサインされていたのが1本目と同じツアーだった為、背水の陣で2本目のツアーを迎え撃つことになりました。
2本目のツアーでお世話になったドライバーさんは、1本目の方とは打って変わり仏様のように優しい方で、集合の時には旗を持って受付を手伝ってくれました。あまりにも優しい方だったので、昼食の時に1本目の愚痴を聞いてもらいました。そんなドライバーさんに恵まれたこともあってか、2本目はトラブルもなく無事に帰着することができました。別れ際、そのドライバーさんは私にこう声をかけてくれました。
「困ったことがあったらいつでも俺に言ってきな。変なドライバーだったら俺がやっつけてやるから」
同じドライバーさんに当たる確率は限りなく少ないですし、リップサービスだと分かってはいますが、この言葉は弱り切っていた私の心にとても沁みました。まさに捨てる神あれば拾う神あり。今でもこのドライバーさんの名前と顔は忘れることが出来ません。そして、この小さな成功体験を得られたことで、ようやく添乗員デビューをしたという実感がわきました。
さて、そんな心許ない私に自信をつけさせる為か、はたまた偶然かは今となっては知る由もありませんが、3本目も同じツアーがアサインされました。打ち合わせを済ませ、たまたま翌日出発の別ツアーの打合せで来ていた同期と遅めの昼食を食べることになり、西新宿のジョナサンに入りました。お互いまだ経験値はゼロに等しいですが、貴重な情報交換をしながら昼食を取っていたまさにその時でした。これまでに経験したことがないような大きな揺れが店内を襲ったのです。忘れもしない2011年3月11日のことでした。
(さらなる悲劇が待っているとも知らず、物思いに浸りながら眺めていた偕楽園の梅と千波湖)

EventOffice ミキキートス代表。
中央大学卒業後、観光とは異業界での勤務経験を経て、旅行会社で国内外の添乗員・ガイド業務に従事。
2015年からは、主催のミキキートスにてイヤホンガイドを使用した参加型ツアー事業を開始。「大人向け社会科見学」や「親子でまなぶ」をコンセプトとし、築地/豊洲市場、成田空港や国会議事堂見学をはじめとした多数の人気ツアーを企画。
「名物ガイド」として多くのメディアで注目を集める。
新型コロナ禍以降は、オンラインツアーガイドに注力。最近では観光地や企業とのコラボイベントも始まり、コロナ禍でも多忙な日々を過ごす。
目下“偉大なる素人”を目指して邁進中。
WEBサイト:https://www.mikikiitos.com/