まさか30歳になって、クラスメイトと机を並べて勉強することになるとは思ってもみませんでした。そもそも職業訓練校という制度があることを知ったのが わずか数か月前のこと。職業訓練校という言葉の持つ堅い響きから想像していたのは、就職する為に必死になって勉強する予備校のようなイメージでした。ところが、いざふたを開けてみると全く想像と異なっていました。下は10代から上は60代までのいろんな境遇の、様々な経験を持った人たちが同級生というだけで、とってもフレンドリーでアットホームな、学生時代に返ったかのような”学校”でした。これは職業訓練校に共通することかもしれませんが、男性よりも女性が多く、男性2割、女性8割くらいの構成比でした。
もちろんスタンスは人それぞれですし、個人間で多少感覚に違いがあったかもしれませんが、各々10年ぶり、20年ぶり、30年ぶり…に新しいクラスメイトと机を並べて勉強するということに目を輝かせ、スクールライフをエンジョイしようという雰囲気が漂っていました。全員の年齢を把握していたわけではないですが、当時私が30歳で、おそらくクラスの年齢の中央値は40歳弱くらいだったように記憶しています。気の合いそうな人とはお昼を一緒に食べたり、休憩時間に話をしたり、グループワークの作業で意気投合したりと、そんな感じで年齢に関係なく仲良くなっていきました。
座席は自由席でしたが、おのずと固定されていきます。前職を雇い止めになり、旅行業界への転職を夢見る私は大変気合が入っていたので、中央の最前列に陣取っていました。人数に対して余裕のある教室だったので、各々ある程度好きなところに座ることができました。
1コマ50分、午前3コマ 午後3コマで、お昼休憩が50分くらいだったと思います。職業訓練校は失業給付の支給基準にもなる為、出席は講師や事務スタッフがしっかりと取っていました。また、日直担当があり、日報のようなものを下校時に提出して帰った記憶があります。
勉強する内容ですが、旅行業法や旅行業約款、出入国法令といった大変堅苦しいものから、海外旅行地理、国内旅行地理のような、話を聞いているだけで旅行に行っているような気分になるものまで、旅行業に携わるものとして最低限知っておかなければならない知識を幅広く学習することが出来ました。中には数学のような授業もありました。資料から情報を読み取って航空券の運賃を手計算する「国際航空運賃」という面倒くさい教科です。私はこれまで旅行業の手配業務に就いたことはないのですが、この知識を実務で使って仕事をする人はほぼいないだろうと勝手に決めつけたくなるほどでした。
(当時30歳の職業訓練校時代の筆者)
さて、旅行業に従事する方々へは愚問ですが、皆さんは旅行会社と聞いてどんなお仕事をイメージするでしょうか?
訓練校に入る前の私の認識は、
- ・旅行会社のカウンターでお仕事をしている人たちのイメージ
- ・お客様の旅行相談に乗ってプランを提案
- ・ご提案する以上、下見の為に仕事で旅行に行くこともあるんだろうなぁ…
程度のものでした。ですから、おのずと転職先のイメージも上記の様なお仕事を思い描いていたんですね。接客の経験もあるし、カウンター業務も楽しそうだなぁ…なんて漠然と考えていました。そしてこの時点で私は、いずれ自分が就く添乗員というお仕事の存在をまだ知りませんでした。
添乗員を経験した後で思い返してみると、修学旅行にも添乗員さんが同行していたはずですし、日帰りバスツアーで旅行したこともあったので、その時も添乗員さんが同行してくれていたはずなんですが、一切記憶に残っていなかったんですね。接点があれば記憶に残っていたと思うので、おそらく関わるタイミングがなかったのだと思います。「ツアーコンダクター」という言葉の方はなぜか耳になじみがあり、海外旅行とかで活躍するなんかバブリーなお仕事をしている人たち位の感覚でした。
そして、その存在すら良く知らなかった職業である添乗員(ツアーコンダクター)を、私は後々志すことになるのでした。きっかけは5-6名ほどいる講師のうち、2人が元ツアーコンダクターで、その経験に基づく体験談が面白く、またお仕事のやりがいも存分に伝わってくることでした。これも憶測にはなりますが、おそらく入校前から添乗員を志していた人はいなかったと思います。結果として、およそ3カ月のカリキュラムが終了する時点で、添乗員を選んだクラスメイトが私以外に5人いました。その後私を含め、ほとんどの人が添乗員を辞めてしまいましたが、そのうちの1人は現役で、「コロナ」がなければ、今も世界中を飛び回る人気ツアコンとして活躍していたことでしょう。
詳細は次回以降にお話ししたいと思いますが、ここがプロ添乗員の報われないところで、一部の方を除いて雇用形態はお仕事発生ベースの派遣社員です。繁閑(はんかん)の差が激しく、お仕事がない時は別の仕事で生計を立てるしかないというのが本当に辛いところだったりします。まぁ、お仕事が忙しすぎると、それはそれで体力的にも精神的にも大変なんですけどね。
というわけで、安定した職と生活を手に入れるべく入った職業訓練校で、ある意味で一番不安定なお仕事を志すことになってしまうのでした。日本が「3.11大震災」に見舞われる直前の冬のことでした。

EventOffice ミキキートス代表。
中央大学卒業後、観光とは異業界での勤務経験を経て、旅行会社で国内外の添乗員・ガイド業務に従事。
2015年からは、主催のミキキートスにてイヤホンガイドを使用した参加型ツアー事業を開始。「大人向け社会科見学」や「親子でまなぶ」をコンセプトとし、築地/豊洲市場、成田空港や国会議事堂見学をはじめとした多数の人気ツアーを企画。
「名物ガイド」として多くのメディアで注目を集める。
新型コロナ禍以降は、オンラインツアーガイドに注力。最近では観光地や企業とのコラボイベントも始まり、コロナ禍でも多忙な日々を過ごす。
目下“偉大なる素人”を目指して邁進中。
WEBサイト:https://www.mikikiitos.com/